お侍様 小劇場 extra

    鬼やらいの夜に 
 

暦の上でという通過点を越してもなお、なかなかその本性を現さぬままだった冬が、
先だっての晩から、唐突に牙を剥いた。
吹きつける風は鋭い氷のかけらを含んでずんと挑発的になったし、
曇天が増え、ふと音がしなくなったことに気づいて外を見やると、
はらはらと白いものが冷たく舞う日もざらとなり。
遠くで逆巻くは嵐のいななき。
風籟の音が高く低くうねりつつ、
こちらへこちらへと押し寄せて来るのが判る。

 “…。”

その身へとまとった長外套の、赤い毛並みが夜気を吸って重くなる。
氷のような夜の帳
(とばり)を掻き分けて、
暗い夜陰をただただ急ぐ。
頭上を覆うのは、この寒さにも葉を落とさぬ鎮守の大樹の梢が天蓋。
梢のどよもしがいよいよ高鳴ったの、駈け続けながら見上げれば、
木の間に少しほど覗くのが 夜空を翔る雲の色。
黒々と塗り潰された穹の一点、
遠く遥かに煌々と輝る月へとかぶさって、
千切り和紙のような群雲が、
皓月を覆っては風にあおられ去ってゆくのが、
何かしら、穏やかならぬものの襲来を予感さす。

 「……。」

今宵は塒
(ねぐら)におれと言われたけれど、
一人でいるのが落ち着けない。
今更 幼子のように独りが怖いわけじゃあない。
けれど…何とはなく落ち着けなくて。
木々のざわめきも風の唸りも、昨夜と同じはずなのに。
どうしてだろか、どこかが違って聞こえてしまう。
傍らにいつもの胸がないからだろか。

 「〜〜。」

違う違うとかぶりを振る。
向こうが寒いというから、だから、
湯たんぽ代わりに掻い込まれてやっているのだ。
今宵だってまだまだうんと寒くなるのに違いない。
だからこそその傍らにいてやらねばと、森の中を翔って急ぐ。
どんな季節のどんな頃合いにも、鬱蒼とした深い森。
人の和子らの住まう里にも程近いものの、
地脈の流れが猛々しくて、濃密な精気が垂れ込める此処は、
不用意に踏み込めば神隠しに遭うと噂され、
滅多に荒らされることもないままの聖なる土地だ。
暗い視野の中のところどこには、
木の間から洩れ落ちた月光が、闇を裂いてのまだらに濡らしてる。
そこを選んで踏みつける足さばきも、今のところは至って軽やか。
だって、居場所は判っているもの。
今はそこへと向かってるところ。
だから、少しも不安はない。
踊るように、跳ねるように、
凍夜の中をひとり、翔る姿を誰かが見たれば。
森の精気が見せた幻、いやいや今宵だ、疫神かも知れぬと、
震え上がったやも知れぬ。

 「…っ。」

獣の毛並みのように つるりとなめらか…なんてものじゃあない。
薄い玻璃の膜を粉々に砕いた、鋭き棘をば含んだような、
痛いくらいに冷えきった夜陰の中。
彼自身が風のよに、自分の陰さえ置き去っての駆けて駆けて。
森の奥向きをひたすら目指せば、やがて。
いきなり木立が途切れ、開けた空間が現れて。
闇のかづきを幾重にもまとわす、古びた祠が見えて来る。

 「……。」

祠も、それから一基のみある灯籠に灯された蒼い灯も、
人の和子には見えぬそれ。
されど、森の民にはくっきりと見える畏怖の対象。
そこをと目指して駆けて来た彼が、それでもついつい足止めて、
吹きつける風になぶられるまま、金の綿毛を揺らしてしまったのも。
そこが特別な処だからだ。

  ―― 森の守護のおわす場所。

塒の留守居を言いつかったのに、なのに来てしまって叱られないか。
神聖な集中とやらが要る晩だのに、
邪魔になったりしないだろうかと。
今頃になって色々な思案が浮かぶのが憎い。
ほれ、いつまでも甘えが抜けぬと、
やれやれという笑い方、またまたされてしまわぬか。

 「…。」

勇んで運んだ気勢もどこへやら、
祠の威容に圧
(お)されてでもいるかの如く、
気後れに負けて立ち尽くしておれば。

 「……久蔵か?」
 「…っ。」

祠の方からの声がした。
少しほど意外そうな、されど予想してもいたような穏やかな声だ。
ハッとして、いつの間にやら俯けていてたお顔を上げれば。
祠の扉が開いている。
粗末な木戸だが、黒々とうずくまってた祠に刳り貫かれたそこからは、
黄昏色の明かりが見えたし、その明かりに照らされた影も見えて。

 “…勘兵衛。”

外にいたこちらの気配、拾ってわざわざ出て来てくれた、
ああそれだけで、胸のうちのつきつきやドキドキがほろほろと蕩ける。
結構な上背のある彼の、
肩を覆って背中まで垂らされた深色の髪のなだらかな輪郭や、
その髪の上、頭頂部に立つ大きめの一対の耳の影が、
心持ち、かすかに伏せられ気味なので、

 「……。/////」

ああよかった、いきり立っての怒ってはいないと、
とりあえずはそれだけを酌み取って。
あとちょっとの間合いを詰めるよに、
祠までの前庭、たたたっと軽やかに駆け抜ける若い精霊。
目指す男がまといしは、夜詰めの番の装束の、白い小袖に白袴。
彼らの衣紋は見た目だけ。
豊かな毛並みを持つ身には、帷子
(かたびら)一枚でも暖かではあるのだが。
それでも、その胸元を屈強充実した厚みがゆったり押し出す、
雄々しい着付けの落ち着きようには、
彼の悠然とした人性や品格がそのまま現れているようで。

  ―― もう 大丈夫

一人でいた塒では、居ても立っても居られなかった。
胸を埋めてた形のない焦燥のようなものが、今はもうどこにも見当たらない。
物心付いたころから一緒の養い親。
自分は彼の子ではないのだと、それが判ったのもまた自然な理解で。
だっていくら精霊や妖異の身であれ、狼と猫ではあまりに違う。
包容力があり、孤高であっても頼もしき、芯の太い雄々しき彼と。
どんなにムキになっても強靭さには限界があり、柔軟さばかりが身につく自分と。
腕力だけの話じゃあなくて、

 「寒くはなかったか?」
 「〜〜。」

匂いが届くほどの間近まで、寄ったところへの開口一番、
味のある男臭いお顔が笑んだそのまま、掛けられたのはそんなお声で。
いきなりの子供扱いが降って来たのへ、
その口許がついついへの字に曲がってしまう久蔵だったが。

  ―― 窘められたことよりも今は、
     大好きな存在のすぐ傍らに寄れたことが嬉しいと。

こちらの彼の頭にもある、こちらは金色の三角のお耳が、
くすぐったいよな心地を滲ませてだろう、
ひくひくと揺れているのが存外素直だ。

 「どら。」
 「…っ☆」

大きな手のひら、暖かい手のひら。
するりと頬に当てがわれては、どんな強情も蕩けるから不思議。
祠といっても厳粛なお堂だったりするわけじゃない。
囲炉裏のある板の間の、小さな杣家のようなもの。
今宵のような節季の晩に、
一応の用心にと、森の精気を見守るがため、
夜明かしするためにと彼が設けたそれであり。
例えば今宵は、人の里では“鬼やらい”という祓の日だとか。
春が来る直前の晩に、
一年分の悪疫を追い払う儀式が一斉に行われるのだそうで。
精霊や妖異が全て悪疫ではないけれど、
人の和子にすりゃあ恐ろしい存在には違いなかろう。
だからとの祈りで祓われたもの、
どこか一つところへ溜まっては厄介だから。
ただでさえ精気の濃いこの森に集わぬようにと、
夜通し見守るのが彼のお役目。
単なる儀礼なぞではなくて、
何年かに一度くらいは、洒落にならない瘴気が凝
(こご)る。
寄り代を得ての、途轍もない大妖に成り果てることもある。
そんな鬼を、念を集めた聖刀にて討ち祓うのもまた、彼のお務めだったりし。
何も堅苦しい“決禊”をしていたわけではないけれど、
周囲の気配に耳をそばだてていたには違いない。
そんなところへ押しかけるとは、

 「…。」

それこそ幼子のような後追いをした自分だと、今になって気づいた久蔵。
ばつが悪いか、視線を逸らし。
元いた場所だろ、囲炉裏の傍らへと上がった勘兵衛を追いはせず、
框のところで立ち尽くす。
養い子のそんな様子へ、座り込む前に気づいた勘兵衛。
板の間の上から振り返り、

 「…久蔵?」
 「………。」

声を掛けたが返事はなくて。

 「如何した?」
 「…すまぬ。」

無愛想でぶっきらぼうだが、決して鈍な子供じゃあない。
義理堅い勘兵衛の傍らにいることで身につけたのか、
物事や世の中の道理や機微のようなもの、
一応は気づいての察したうえで、
だのに我を通してしまった自分の言動、後から悔いる姿が、
勘兵衛には得も言われず愛しくてならぬ。

 “儂なぞより余程のこと繊細であるのにな。”

思考の尋深く、どうとでも機転の利く勘兵衛を、
いつだって感心している久蔵でもあるらしいけれど。
自分のそれはただ単に、
起きてしまったことはしようがないと、
最善の事後策を執ることに長けているだけのこと。
図太いからこそ多少のことではへこまぬ身。
だからこそ、とっとと対処をと動き出せるだけの話なのだが。
それへさえまだまだ気づけぬ幼さ青さが、
年経た勘兵衛にしてみれば、たいそう得難い宝に思えて。

 「ほれ。そのようなところに立ちん坊になるでない。」

せっかく来てくれたのなら、
いつものように寄り添うてくれぬかと。
目許を細め、口許たわませ、
やわらかく微笑っての“さあおいで”と呼ばれては、

 「〜〜〜。////////」

それこそ究極の刷り込みが沸いて来て、
その傍らへと寄らずにはいられない久蔵で。
寒いの、平気だったのにな。
そうだ、勘兵衛に拾われたのはこんな晩じゃあなかったか。
どんなに冷たくとも、ずっとずっとこらえて。
幾夜も一人で乗り越えて、母が戻って来てくれるの、待ってたの。

 『坊主、このような処でいかがした。』

返事も出来ぬほど凍てついた身を、
何の衒いもなくくるみ込んでくれたのが勘兵衛で。
頼もしいまでのまろやかな温かさ、この身で覚えてしまったからにはもう、

 「ほれ、上がって来ぬか。」

ああ、じっとしてなんかいられない。
框を上がるのと同時、赤い毛並みの膝まであった外套が消えていて、
ゆったりと座した壮年の狼の膝元間近へ、
寄り添うように身を寄せての座り込めば、

 「おお、髪も耳もこんなに冷やしおって。」

大きな手が頭を引き寄せ、堅くなってた耳朶へ頬へ、
その強い肌の張った頬を寄せてくれる。
冷えきった背中を撫でてくれる手の暖かさ、
引き寄せられた懐ろの精悍な匂い。
そのどれからも、口惜しいけれど離れ難くて。
もっとずっと小さかったころも、
怖くなんかないと怒ったようなお顔になって。
そのくせ 勘兵衛のふかふかな尾へ、しがみついたまま離れなかった天の邪鬼。
ああ今もそれは健在だと、
他でもない自分で気づいて…やっぱり離れられないまんま、
その頼もしい胸板へと頬を埋めてしまう久蔵であり。

 「……。////////」

杣家の外では相も変わらぬ風の音。
森の木々が、何を警戒してか しきりとどよもし、
そおと見上げた勘兵衛も、その表情を真摯なそれへと戻してる。
彼ほどの雄々しき存在でも気を緩めちゃあいけない晩で、
でもやっぱり、久蔵にはもう何にも怖いものはなくって。


  なあ、勘兵衛。
  んん?


囲炉裏の炭がぱちりとはぜて。
それへと気を取られたように間をおいてから。

 「もしももしも手を焼くような疫神が生じたら、俺を盾にするといい。」

人の和子の欲や、それにまつわる怨嗟は、年々深くなり嵩張るばかり。
そのうち、勘兵衛にも荷の重いもの、現れる日が来るやもしれぬ。
そうとなったら この身も使えと、
かつてない妙案のように口にした久蔵だったのだけれど、


  馬鹿を申せ。


固い声がし、え?と見上げかけた身を堅く束縛したのが、
聖刀を駆使する雄々しき腕で。
加減を知らぬ勢いの束縛が、こちらの腕を締めつけて痛い。

 「勘兵衛?」
 「そのようなことのため、これまで育てたわけではない。」

こうまでしゃにむな声を、眸を、
これまで一度も聞いたことも見たこともない。
目の前の養い子をただただ愛おしんでのことか。
それとも…何がどうとは語らぬ彼の、
だが、久蔵の何倍もの生を生きて来た、そのどこかへ触れてのことか。

  “…勘兵衛。”

鬼を生むのは人のみにあらず。
心ある者は誰しも、そこへと鬼を棲まわすものなのかも知れぬ。
それへ飲まれては負けと、そこまでの機微にはまだ遠く、
紅眸の金猫、養い親の遠い眸を歯痒い心地で見上げるばかり……。



  〜Fine〜 09.01.15.

 


  *実は、斬艦刀に乗っていた狼さんだったのかも知れません。(おいおい)
   それはともかく。
   
いかっち様絵雑記に展開されてらした(1/10)
   “拾った猫キュウを育てた狼おさま”のシリーズに、
   すっかり萌えてしまってのこの有り様です。
   ここんところ、猫づいてた勢いもあったのかも知れません。
   こんなややこしい品ですが、
   サイト開設2周年もお近いことですし、
   いかっち様、よろしかったら受け取っていただけませんか?

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

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